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左利き禁止というマナー

昔、左利きは「ぎっちょ」と言われて差別されていた。

当時マナーという単語が普及していたかどうかは知らないが「箸は右手で持つべきだ」という規範は今でいうマナーだったんだと思う。

日本語のマナー感覚は「みっともない」「はしたない」という言葉で端的に表されている。みっともないことはしてはいけない。はしたないことはしてはいけない。そういえば生前のばっちゃがよく「みっちょぐねえ」って言ってた。

昔は左手で箸を持つことが「みっともない」ことだった。今はそういう感覚の日本人は少ない。浅学にして左利き差別是正の歴史を調べたことはないが、おそらく左利き差別と戦った人たちがいたんじゃないか。

でもこの「みっともない」という言葉がくせ者だ。今だって、女が電車で化粧をするのはみっともないとか、人前で鼻をほじるのはみっともないとかあるわけで。「みっともない」の規範は健在だ。

「みっともない」の規範は、なぜそれが成立しているかを考えると言葉で説明するのが難しい。倫理的に「悪」を行っているわけではない。他人に与えている損失は、せいぜい不快感だけだ。

増田の言うとおり、「みっともない」の規範は共同体内でお互いに仲間であることを確認する行為だと思う。だから共同体ごとにマナーは違うし、個々のマナーは成立理由の説明が難しい。ルールを守っていることが仲間であることの証なのだ。

マナーがそういう性質のものだとしたら、マナーがマジョリティに優しく設計されているのもうなずける。仲間であることの確認、異質の排除、マイノリティの差異の明確化。すべてのマナーが差別的であるとは限らないが、差別的なマナーが存在しがちであるのはわかる。

これからマナーもポリコレの洗礼を受けるだろうね。個人的には歓迎だ。