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性的にまなざされる身体

メルロ・ポンティが「見ることは触れることである」といった旨のことを確か言ってたんだけど、エロ絵の文法で描かれた女性キャラが公共の場でさらけ出されることの不快感ってたぶんそういうところから来ているよね。

男性の性的なまなざしによってデフォルメされた女性の身体部位は、男性に性的に触れられている。それを女性が見たときに、日常生活の文脈から切り離されて不意に自分の身体が性的なものであることを意識させられる。買い物をしていようと昼下がりにおしゃべりをしていようとそんなことと関係なしに性的な身体を意識させられる。ここに強制があるので、性の尊厳が蔑まれているように感じるわけだ。

それはわかる。

とはいえ今や萌え絵は社会的に容認されつつある。しかも独自の地位を築きつつある。不適切なエロではなく萌えである、と。だから大した考えもなく役所や企業がイメージキャラとして親しみやすい萌え絵を使用してしまうし、それに対して批判が起きる。

これもわかる。

でもなんというか、モグラ叩きみたいにして不適切なエロ絵が出るたびに批判するのは場当たり的だし消耗戦だと思う。もっと建設的な戦いはできないだろうか。

たとえば、エロ絵の文法からではなく、本来の女性身体の美しさを描く表現技法を開発するとか。エロ絵によって男性の性的なまなざしで汲み取られるだけの身体表現は、女性本来の美しさを疎外しているとも言えるんだから、本来の美しさの復権を目指したらいいよね。

と書いてみたものの、本来の女性身体の美しさが非・性的なものかっていうと、そうとも限らない。難しいところだな。