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偽悪と偽善のあいだ

親鸞をヒントに「偽善-悪者-偽悪」の軸を導入して真ん中の悪者たれという記事。興味深かった。

しかし記事前半の「正義の味方になってしまっていないか気をつける」と後半「悪者たれ」がどう結びついているのかわからなかった。

正義の概念は難しい。というのも、日本人にとって「正義」が多義性をもっているわけでからかもしれない。

正義というとき、

  • 悪を叩くための大義名分
  • 実現すべき社会的公平

という大まかな意味があると思う。

憶測なのだけど、この方は「悪を叩くための大義名分」としての正義に否定的なのだと思う。自分が正義の味方になるというのはそういうことだ。なにしろ「正義の味方」は懲悪を意味することが多いからな。

それに対して、貧困に支援的であるというのは、社会的公平の実現を目指しているので、懲悪とは異なる。その過程で悪い制度の是正などを要求することはあるにせよ、懲悪そのものが目的ではない。

「正義」は多義的だ。だから気をつけないと、読者が勝手に意味付与するかもしれない。誤解されるかもしれない。多義語には要注意だな。