読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

戸塚ヨットスクール被害者の会がない

戸塚ヨットスクールの報道があるとだいたい炎上する。

当事者(戸塚ヨットスクールの卒業生)の話を読みたい。

戸塚ヨットスクールには僕は嫌悪感があるが、当事者はどう感じているのだろうか。もしかしたら被害者の会とかがあるかもしれないと思って軽く検索したが、そういうものは見つけられなかった。

戸塚ヨットスクール事件が起きたのが1983年。その頃に体罰教育を受けた子供たちはとっくに大人になり、子どももいるかもしれない。もし体罰教育を良いものだと感じているなら、卒業生たちが自分の子どもをスクールに送っているだろう。世代を超えたリピーターである。

教育は成果が出るまでが長い。下手をすると一世代ではわからない。とはいえもしも世代を超えたリピーターが多いなら、体罰教育を強く支持する層が確実にいることになる。体罰の連鎖。恐ろしくおぞましいが。

偽悪と偽善のあいだ

親鸞をヒントに「偽善-悪者-偽悪」の軸を導入して真ん中の悪者たれという記事。興味深かった。

しかし記事前半の「正義の味方になってしまっていないか気をつける」と後半「悪者たれ」がどう結びついているのかわからなかった。

正義の概念は難しい。というのも、日本人にとって「正義」が多義性をもっているわけでからかもしれない。

正義というとき、

  • 悪を叩くための大義名分
  • 実現すべき社会的公平

という大まかな意味があると思う。

憶測なのだけど、この方は「悪を叩くための大義名分」としての正義に否定的なのだと思う。自分が正義の味方になるというのはそういうことだ。なにしろ「正義の味方」は懲悪を意味することが多いからな。

それに対して、貧困に支援的であるというのは、社会的公平の実現を目指しているので、懲悪とは異なる。その過程で悪い制度の是正などを要求することはあるにせよ、懲悪そのものが目的ではない。

「正義」は多義的だ。だから気をつけないと、読者が勝手に意味付与するかもしれない。誤解されるかもしれない。多義語には要注意だな。

長時間労働撲滅の気持ち悪さ?

長時間労働撲滅の署名運動に対してこんな記事が。

要約すると、

  • すべての問題を長時間労働のせいにしているところが気持ち悪い
  • 個人の自由な働き方を認めるべきである

って感じだ。

別の労働問題にも原因があるなら自分で議論を作っていけばいい

電通の方の自殺がきっかけで長時間労働撲滅運動が起きているわけだが、問題の本質は長時間労働に限らないよね、という意見はわかる。

でもまあ長時間労働撲滅運動は他の労働問題を否定したり排除したりしているわけではないのだから、問題の本質が別の労働問題にあるのなら、それについて議論を起こしていけばよいのでは。

署名などの社会運動をすすめていくのは推進力が必要。だから論点を一点集約させて他の関連する社会問題も巻き込みつつ賛同者を増やしていく、というのはふつうの方法だよね。おそらくこの方はそこに全体主義的な多様性排除の空気を感じ取って「気持ち悪い」と評したのだろうけど。

でも実際には他の論点を排除しているわけではないし、それぞれが大事だと思うことをやればいいんじゃないかな。

長時間労働したいならすればいい

長時間労働したい人には長時間労働させろよ!というのが第二の論点。

なるほど。長時間労働すればよいのでは。

「労働時間に上限を設定する」というのは会社に求めるルールの話。会社が労働者を使うときに労使協定を結べば何時間でも働かせることが可能な現状はまずいよね、だから変えていこうってことだ。

個人の労働時間に上限を設けようという話ではないのだから、ことさらに危機感を感じなくていいと思う。たくさん働きたければ働けばいいんですよ。

長く働くのが悪なんじゃなくて、長く働かせるのが悪なの。これは混同しないでほしかった。